カナダの哲学者チャールズ・テイラーは現代を生きる哲学者の中でも圧倒的な存在感を放つ哲学者の一人である。西洋哲学の伝統には大きく分けて分析系、大陸系、プラグマティズムの_三つの流派が存在するが、彼は分析系から始まって、大陸系やプラグマティズムに転じた哲学者である。分析系とはアングロ・アメリカンとも呼ばれ、基本的に英語圏(アングロフォン)で実践されている哲学で、大陸系はドイツ、フランスなどヨーロッパ大陸、プラグマティズムはアメリカ固有の哲学である。テイラーはカナダのマギル大学を経て、ローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学し、そこで博識で知られるアイザイア・バーリンに学んだ(おおよそ1952-1961)。彼は1961年に『行動の説明(Explanation of Behavior)』という当時一世を風靡していたスキナーの行動主義心理学を批判する論文で博士号を取得した。オックスフォードは英語圏であり分析系哲学の中心地の一つであるが、テイラーは行動主義を含め分析系の考え方に窮屈さを感じ、分析系から抜け出していった。
同時期にアラスデア・マッキンタイアもオックスフォードにおり、彼らは共に政治運動、言論活動などを行った。またこの時期にはジョン・ロールズもオックスフォードを訪れ、アイザイア・バーリンに多大なる影響を受けた(1952-1953)。のちにロールズはバーリンが絶賛することになる『正義論(A Theory of Justice)』(1971)を出版し、自由主義(リベラリズム)を擁護するのだが、テイラー、マッキンタイアらはマイケル・ウォルツァー、マイケル・サンデルらと共に自由主義的な考え方に反対する共同体主義と呼ばれる立場を立ち上げる。サンデルもローズ奨学生としてオックスフォードに留学し1981年に『自由主義と正義の限界(Liberalism and the Limits of Justice)』という論文でロールズの『正義論』批判を行い博士号を取得した。この時に指導教授の一人だったのがテイラーである(テイラーは1976-81の間オックスフォードで教鞭をとった)。
自由主義と共同体主義は大まかにいって新カント主義と新アリストテレス主義ということができる。カントの哲学は「正しさ」の哲学であり、アリストテレスの哲学は「良さ」の哲学である。この辺りは『本当の声を求めて:野蛮な常識を疑え』に詳しく書いてある(ただここで出てくるような専門用語は使っていない)。そしてサンデルは論文の中で哲学的人間学(Philosophical Anthropology)と呼ばれる手法を用いた。哲学的人間学とは簡単に言ってしまうと「人間とはどのようなものか」ということを研究する学問である。そしてサンデルに政治哲学へのアリストテレスの関わりと哲学的人間学という手法を教えたのはテイラーである。
「人間とはどのようなものか」ということを取り違えてしまったことで自由主義は間違ってしまった、というのが共同体主義の主張の一つである。テイラーはヘーゲル研究、解釈学、美学、宗教、現象学、政治哲学、社会科学の哲学など広範囲にわたって著作があるが、彼の根底には哲学的人間学が存在する。彼の博士論文『行動の説明(Explanation of Behavior)』もスキナーの考えるような人間像は正しいものではない、という視点から書かれている。自由主義(新カント主義)は正しさの良さに対する優先を謳うが、共同体主義(新アリストテレス主義)は良さの正しさに対する優先を謳う。良さ(意味)が常に正しさに対して優先する。これが人間というものだ。私たちが良いと思うことから正しさ(正義)の感覚は生まれてくる(ちなみにロールズは京都賞を辞退し、テイラーは京都賞を受賞した)。
これは私のアマチュア発達心理学の観点からも正しそうだと思う。姪が3歳の時に嫌なことがあると’I don’t like it!’と言っていたが(そして足をドンと踏む)、4歳になった時には同じような状況で’Oh, that’s not fair.’と言っていた。つまり公平(fair)ではないというのは良くないこと(I don’t like it!)の延長にあるのだ。良さの感覚が正しさの感覚の前に存在するということになる。
「人間とはどのようなものか」という始原的な問題を研究する哲学的人間学はさまざまな学問とも呼応する。例えば、スキナーらの行動主義心理学に代わり認知心理学を立ち上げた認知革命のリーダーだったジェローム・ブルーナーも1972-1980の間オックスフォードで教え、テイラーに大変共感している。1989年に出版されたテイラーの『自我の起源(Sources of the Self)』をブルーナーはこの四半世紀で最も重要な哲学書と評している。ブルーナーもまた行動主義を覆し、心理学に意味を取り戻そうとした。1970年代にブルーナーと共に授業を持った文化人類学者クリフォード・ギアーツもまた文化という意味を中核にした文化人類学に貢献した。ギアーツは『文化の解釈(The Interpretations of Cultures)』の中で「人間がなければ文化はないが、文化がなければ人間もない」と言っている。哲学、認知心理学、文化人類学は全て認知科学を構成する。
テイラーは現象学などにも詳しいが、現在英語圏で現象学の一流の研究者といえばそのほとんどがヒューバート・ドレイフュスの弟子筋に当たる。テイラーとドレイフュスは共著もあるのだが、ドレイフュスの弟子の一人であるハーバード大学の現象学者ショーン・ケリーは現在、哲学的人間学を研究している。ドレイフュスはまた大陸系哲学とプラグマティズムが非常に近いという発見をしたのだが、分析系から始まってプラグマティズムの方向に行った人物がヒラリー・パトナムで彼はいわゆるネオ・プラグマティズム(新プラグマティズム)とカテゴライズされているが、彼の後期の著作にはテイラーも賛辞を送っている。
正しい哲学的人間学をもとに社会科学を、そして社会制度を再構築すること、それが私たちの「本当の声」に基づく「見えない自由」を手に入れることなのだ、というのが私の著書『本当の声を求めて:野蛮な常識を疑え』の主題だ。この意味でも私はここに名前の出てきた先人たちに非常に強い影響を受けている。

