物語

アリストテレスは「なぜ」と思う気持ちから哲学は始まると考えたが、同様に物語も「なぜ」と思う気持ちから始まる。アリストテレスは『詩学(poetics)』で物語の構造を説明しているのだが、物語には始まり、中間、そして終わりがあると言っている。まあ、これだけ聞くとあまりにも当たり前だと思えるのだが、ここでいう始まりは「なぜ」という気持ち、つまり心理的な問題だ。通常の世界は問題なく動いており、私たちが特に注意を払う必要もない。しかし世界の中に何か通常でないことが怒った時に私たちはそれに注意を払い「なぜ」なのだろうかと思う。このような心理的な問題が物語の始まりだ。そして中間はその問題が複雑化する過程、そして終わりはその心理的な問題に解決策が与えられるフェーズだ。例えば、推理小説やサスペンスなどの物語を考えてみると、殺人事件などの非日常的な事態が起こり、私たちは「なぜ」なのだろうと思う。物語の中間において、それが複雑化していき、最終的に犯人や動機などがわかることによって、私たちの疑問に終止符が打たれる。

ここで言う解決策(resolution)は解決(solution)ではない。解決は数学の問題を解くときのようにユニークなものであるが、ここで言う解決策はユニークなものでなくても良い。自分の心理的問題さえなくなればそれで良いのだ。そうは言っても、解決策には様々なものがある。良い解決策が提示された物語は良い物語ということになるし、悪い解決策は良くない物語となる。例えば、何か問題が起こって、相手に対する呪い(cursing)や悪口を言ってみたり、自分の行動に対する言い訳(excuses)を言ってみても、ある程度は自分の気持ちは解決するだろうが、それが根本的な解決になるとは思えない。同様に、メディアや大衆の圧力で「悪い」と決めつけられた容疑者を証拠もなく有罪にしたところで(これは意外とある!)、それは良い解決策だとは言えないだろう。

「なぜ」と思う気持ちから哲学も物語も始まる。そして科学は哲学や物語から派生したものだ。とすると科学ですら「なぜ」と思う気持ちから始まる。そして「なぜ」に対する解決策は「良い」ものでないといけない。アリストテレスの哲学、科学、物語論は良さに基づいたものだったが、科学もまた「なぜ」という疑問に対する「良い」説明だと思う。故に科学もまた最良説明への推論(inference to the best explanation)である。

ちなみに20世紀を代表する心理学者ジェローム・ブルーナーはこの物語の考え方を現代心理学の枠組みの中で検証した。私たちの(長期陳述)記憶は物語の形で形成される、というのが彼の考え方だ。これはやはり偉大な功績だ。もちろんブルーナーはヘーゲル、現象学(ハイデガー、メルロ=ポンティら)、ブルデューらが重要視した非陳述記憶をあまり考えていなかったという問題はあるにしても、やはりさすがとしか言いようがない。

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