4月に認知科学を用いた英語学習書『認知科学でネイティブ感覚の英語脳をつくる』を出版するので、なぜ英語学習に認知科学なのか、ということについて少し。
この本は以下の前提の上に成立している。
前提 1) 通常の英語の会話に必要な単語は1500語前後だと言われている。
前提 2) 多くの日本人は英語を長い間勉強しているから、そのほとんどを知っている。
2-1) 日本の高校進学率は98~99%。
2-2) 大学など高等教育機関への進学率は62.3%。
2-3) 小学校でも英語教育が行われている。
これらを考え合わせると多くの日本人は少なくとも6年以上は英語を勉強しており、その過程で1500語前後は学んでいるはず。
前提 3) それでも英語を話せないのは、ネイティブのメンタルモデル(感覚)がないから。
とすると、帰結としては
結論 1) ネイティブのメンタルモデルさえ学べば、比較的すぐにでも英語を話し始めることができるはずだ、ということになる。
補完的な帰結としては
結論 2) 単語を暗記する、頻出表現を暗記する、などの学習方法は間違っている。なぜならば、会話に必要な1500語前後を知っているはずなのに話せないから。これは(少なくとも会話に関しては)方向性が間違った学習方法である。
結論 3) 従来の日本の英語教育は間違っている。なぜならば、多くの日本人は少なくとも6年以上は英語を勉強しているのに話せないから。
ということとなる。
そしてネイティブのメンタルモデル(感覚)を作ろうとしたのが本書だ。おそらく、この本を読んで実践すれば、多くの日本人であれば6ヶ月もあれば英語を話せるのではないかと思っている。
従来の英語教育の何が問題なのか
日本の伝統的な英語教育は生きた英語、つまり英語の感覚を教えてこなかった。正確に言うと、英語教師自身が英語の感覚を持たないのだから、教えることができなかったと言うのが正しいだろう。だからこそ英語は暗記するものとなった。従来の英語教育は本来感覚を伴う言語であるはずの英語を文法、単語、頻出表現などといった血の通わない要素に解剖、分解して、それらを暗記し、話す際にはそれらの要素を組み合わせるという「要素分解→暗記→組み合わせ」という英語学習にしてしまった。確かに暗記した要素を(頭の中で高速で)組み合わせれば「英語を話す」ことができるはずだ。
確かに原理上はその通りなのだが、この考え方には問題がある。この方法で学び「英語を話す」ことは、一見同じに見えても、ネイティブが「英語を話す」こととは大きく異なる。「要素分解→暗記→組み合わせ」の英語はネイティブの話す感覚のある生きた英語とは異なり、解剖され、死んでしまった血の通わない英語であるし、ネイティブはそのようには英語を話していない。
「要素分解→暗記→組み合わせ」による血の通わない英語は暗記作業であり、翻訳作業であり、パズルを解く作業だ。このような英語が文法を考えながら話す英語であり、読解においては、英語に下線を引き、S、V、Oなどと書き込んで読む英語だ。もちろん英語を読む際に、そんなことをしているネイティブはいない。
そうは言っても、血の通わない、感覚のない英語であったとしても、英語が話せるならそれでも良いと思うかもしれない。しかしほとんどの英語学習者はそこまで辿りつかない。なぜなのか。ネイティブが話す生きた英語(英文法)を円のようなものだとすると、要素に分解された血の通わない英文法は三角形のようなものだ。いくらたくさんの三角形を使っても円を近似しようとしても必ず余白、つまり例外が出てきてしまう。三角形で円を完全に近似するためには「無限の」三角形が必要となる。
つまり従来の英語学習方法では無限に煩瑣な文法ルールを暗記をし続けなければならないことになる。もちろんそんなことは非効率で、ほとんどの人が途中で諦めてしまう(もしくはひたすら細かい文法や単語、頻出表現などを暗記し続けることになってしまう)。だから日本人は長い間英語を勉強しており、TOEICなどの点はそこそこなのに実際には英語を話せない、ということになる。
さらに「要素分解→暗記→組み合わせ」が成立するためには、話すたびにいちいち頭で文法を考え、その文法に単語を組み合わせて話さなければならない。TOEICや受験のようなテストは受験者のレベルに合わせて作られているので、ある程度の時間をかけることは可能だ。しかし実際の会話ではリアルタイムでやり取りをしなければならない。そして通常は、頭の中で文法や単語を高速で組み合わせることができないので、すらすら話すことはできない(認知科学の観点からは、なぜこれが高速でできないのかは明確な説明が存在する。これはのちに出てくるワーキングメモリの容量のせいだ)。
認知科学を用いた英語学習
メンタルモデルという言葉を聞いたことがあるだろうか。メンタルモデルとは認知科学の用語で思考方法のことだ。「英語を話す」といったような表面上は全く同じ現象に見えることでも、その背後にある思考方法、つまりメンタルモデルが異なれば、それらは全く異なるものとなる。全く同じ「英語を話す」という行動にしても、頭の中でどのようなルートを辿るかで全く異なるものとなる。
つまり生きた英語を話したいのなら、ネイティブのメンタルモデル=英語脳を学ばないといけない。それはネイティブの話す生きた英語を解剖せずに、生きた英語のまま学ぶということだ。言い換えるならば、それは英語の感覚を体得するということだ。これができれば文法を考えずにでもすらすら話すことができるようになる。そしてこれが本書で提案する英語学習だ。ここには煩瑣な文法用語も、無理な暗記も存在しない。では、単語や表現はどうか、と言われると、通常の会話で必要な単語は1500語ほどだと言われており、実は日本で通常の教育を受けた日本人はそれらの単語のほとんどを知っている。英語を話すために必要なのは多くの単語や表現を暗記することではなく、英語の感覚なのだ。
ではどのようにしてネイティブの英語感覚を体得するのだろう。よく、「その英語、ネイティブはこう感じる」などと感覚の説明が存在するが、ネイティブでないものがネイティブの感覚を説明されても、わかるはずがない。だから「ネイティブの感覚を理解(説明)する」などというのは単なる矛盾でしかない。感覚を理解するというのは「どうやって自転車に乗るか」などという身体性を、自転車に乗らずに頭で理解しようとするようなものだ。
だから英語ネイティブでない日本人が「その英語、ネイティブはこう感じる」などと感覚を説明されても、英語ネイティブでない日本人にとってそれはニュアンスのレベルが一段深くなっただけで、所詮感覚の伴わない暗記でしかない。それでは結局「ネイティブの感覚」といわれる「感覚の伴わないもの」を一つ一つ個別に暗記していかざるを得なくなるという矛盾した状態に辿り着く。これは従来の英語教育同様、終わりのない暗記作業でしかない。
意味(説明)と感覚は異なる。意味は頭(これは認知科学ではシステム2と呼ばれる)で理解することであり、感覚は身体性(同様にこれはシステム1と呼ばれる)の話だ。だから厳密に言うと、「ネイティブの感覚を理解(説明)する」というのはこれら二つのカテゴリーを間違えてしまったカテゴリーミステイクだ。
ネイティブでない人間が英語の感覚を体得するには、その前に英語の意味を理解しなければならない。認知科学を使えば、英語全体を通して体系的に「なぜ」英語はそうなっているのかを「理解」することができる。そして意味(システム2)と感覚(システム1)はつながっている。だから「なぜ」英語はそうなっているのかという意味がわかれば、それは意味もわからず暗記した知識と異なり、感覚(身体)に落とし込むことが容易になる(これができていなかったから、従来の英語教育は暗記科目となったのだし、日本人は英語が喋れない)。そしてこれは意味のわからない暗記と異なり意味がわかるから忘れることはない。これが非ネイティブにとって最も効率的な英語学習法であり、生きた英語を学ぶということだ。
大切なのは意味のわからない文法や「ネイティブの感覚」と呼ばれるものを一つ一つ個別に「暗記」することではなく、英語全体を通して体系的に「なぜ」英語はそうなっているのかを「理解」することだ。後はその理解した内容を実践すれば英語は話せるようになる(実践こそがシステム2とシステム1を繋ぐものだ)。「要素分解→暗記→組み合わせ」と対比するなら「理解→実践→感覚」となる。
