思想家は何を言えるか

思想家は何を言えるか。そして何を言わなければならないか。芸術家は常識に縛られずに、大衆に対して自分が本当の感じたことー本当の声ーを発することができる。政治家や大衆は自分の本当の声、心の声が常識と異なっても、社会の中で自分の本当の声を発することはできない。例えば、男女は平等ではない、人は殺しても良い場合がある、など一般的に常識に反すると考えられることを信じているとしても、それを公然と言うのは政治的に正しくないと感じてしまうだろう。

思想家は芸術家と同じで、常識に縛られずに、本当の声を発することができる。しかし思想家は芸術家と違い、なぜそれが正しいのか、なぜそれが良いのかを論証しなければならない。芸術家は作品の解釈を観客に委ねることができる。哲学者モーリス・メルロ=ポンティが言ったように、真の芸術は一度完成すれば、芸術家の手を離れる。しかし思想家は言いっぱなしにはできない。思想家が何かを言うときには、少なくとも幾人かの人間には「なるほど」と感じてもらえる程度の論証は行わなければならない。この論証がなければ、芸術家ほどの才能を持たない思想家は酒を飲んで好きなことを言っている大衆となんら変わりない。

一般に思想や哲学といったものは科学とは異なると考えられている。科学であれば観察や実験を行い正しいかどうかの判断ができる。一方で、思想や哲学は単に私的な意見のように感じられる。これはなぜかというと科学が「である」という事実に対する言明であるのに対して、思想、哲学は「であるべき」という価値に対する言明であるからだ。当然、こう「であるべき」という言明は私的な意見である。

この事実と価値という二項対立は近代を生きる私たちの常識を形作っている。これは客観と主観と言い換えても良い。「である」という事実に対する言明は客観的なもので、「であるべき」という価値に対する言明は主観的なものである、という考え方が私たちの考え方の根底にある。

しかし科学でなければ何も言えないのかというと、そんなことはない。私たちが科学と言う場合、往々にして物理学などの自然科学を想定する。確かに自然科学においては実験や観察によって理論を検証する。しかしそれが科学のすべてではない。社会科学などと呼ばれる分野においては、検証よりも論証が行われる。この論証こそが思想家、哲学者が行わなければならないことなのだ。

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