最近、止持作犯という言葉を学んだ。止持作犯とはしてはならない事をするのも罪だが、しなければならない事をしないのはもっと罪だ、という意味である。悪人正機とは親鸞の考えで、してはならない事をしている悪人は自分がしてはならないことをしているという自覚があるので、悪人こそ仏の教えを聞いて悟りを得る能力・資質を備えているという考え方である。私たちは自分たちが本当にしなければならない事をしていないということを往々にして自覚することはない。人間として、父親として、国民として、(親の)子どもとして、政治家としてなど、それぞれの立場から自分が何を本当にしなければならないのかを知ることは難しい。してはならない事をするよりももっと罪であるしなければならない事をしない人間は往々にして自分が悪いことをしているという自覚がない。むしろ自分はしてはならない事をしていないゆえに、自分は善人だなどと考えてしまうかもしれない。そうであれば本当に救いようがない。自省を込めていうならば、私たちの多くはこの間違いを犯しているのではないか。多くの人たちがしてはならない事をせず、しなければならない事もしないという、一見善人に見えるような無難な生き方をしてきたから、この国、この社会は今のような状態になってしまったのではないか。しかしそれは本当に罪深い生き方なのではないか。先人たちはしなければならない事をしてこの国を作ってきた。私たちにはそれができているのだろうか。自分が今本当に何をしなければならないのか。少し立ち止まって考えてみたいと思う。
